
坂本龍馬・中岡慎太郎像
円山公園には龍馬と慎太郎の雄姿が。友達と写メを撮って記念にすれば、二人のような信頼関係を築けそう。
- 「東山(京都)駅」から徒歩13分/「祇園四条駅」から徒歩16分
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円山公園には龍馬と慎太郎の雄姿が。友達と写メを撮って記念にすれば、二人のような信頼関係を築けそう。
仙洞御所とは上皇の御所のこと。後水尾、霊元、中御門、桜町、後桜町、光格の六代の上皇が居住したが、嘉永7年(1854)に類焼。建物は再建されることなく、現在は庭園だけを残す。南池、北池を抱え、巨石、滝組、橋を配した庭園美をみせている。所要時間約1時間。
牛若丸と弁慶が出会ったという伝説で有名な橋。もとは平安京の五条坊門通(現在の松原通)に架かっていたのを、豊臣秀吉が天正年間(1573~92)、方広寺大仏殿造営の際に南へ2町下がった現在地に移した。車の波に囲まれながら、牛若丸と弁慶の像が西詰の緑地に立っている。
四条通の鴨川に架かる橋。永治2年(1142)の架橋と伝わり、八坂神社(祇園社)の参詣路にあたっていたため祇園橋とも呼ばれていた。東詰南側には京の師走の風物詩「顔見世」で名高い南座が立ち、傍らには歌舞伎発祥の地の碑がある。
昭和30年(1955)、吉井の古希の祝いに谷崎潤一郎らによって建立。白川沿いに立つ石碑には、「かにかくに 祇園はこひし寝[ぬ]るときも 枕のしたを水のながるる」と祇園を愛した歌人の吉井勇が詠んだ歌が刻まれている。歌碑のある辺りは、石畳の道とそばを流れる川のせせらぎ、風に吹かれて揺れる柳も風流。
昭和3年(1928)に建てられた武田五一氏設計の建築物。元は大阪毎日新聞社の京都支局ビルで、社章をモチーフにした星の形の窓が目を引く。ビル内にはカフェやギャラリー、3階の劇場では、セリフを一切使わない舞台『ギア』のロングラン公演を開催中で、国内外から注目を集めている。
寺町通は、新京極の1筋西を五条通から鞍馬口通まで南北に延びる通り。新京極の発展に伴って商店街が形成されてきたが、本来は各宗派の寺院が通りの東側に立ち並んでいた。桃山時代、豊臣秀吉が進めた京の都市改造の一環として、洛中の寺院、なかでも民衆の心をとらえていた浄土宗、日蓮宗、時宗の寺が強制移転させられたからだ。近年再移転が進んで数は少なくなったものの、現在も主に三条通から丸太町通にかけて多くの寺が残る。仏具や筆墨、和菓子などの老舗も多く、歴史に思いを馳せながら歩いてみたい。
鴨川に架かる三条通の橋。擬宝珠[ぎぼし]を冠した木造風の風情ある橋は、京都のシンボル的な景観として広く親しまれている。近世の東海道五十三次の終点だった。現在の橋は昭和25年(1950)に改修されたものだが、天正18年(1590)に豊臣秀吉が建設した木橋の面影を残し、勾欄の擬宝珠は当時のものが使われている。橋上からは東山、北山、比叡山の諸峰を望める。
江戸後期の儒学者・頼山陽が晩年に住んだ書斎。鴨川に面して窓から東山を望めたことから「山紫水明処」と名付けたという。藁葺き、平屋の簡素な佇まいだ。見学には申込みが事前に必要。往復はがきに見学日時(第2希望まで記入)、人数(2名以上~)、電話番号、代表者の住所、氏名を明記し、〒605-0063 京都府東山区新門前松原町289 頼山陽旧跡保存会宛てで2週間前までに申し込むこと。
豊臣秀吉の墓所で、高さ約9mの五輪石塔が立つ。旧豊国神社跡から約500段の石段を登った所、阿弥陀ケ峯の山上にある。
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