
吉田松陰寓寄処
下田の賑わいから離れた、静かな山間にある蓮台寺温泉に、幕末の偉人・吉田松陰ゆかりの建物が残っている。下田の奥座敷ともいわれ、稲生沢川や蓮台寺川に沿って高級旅館が立ち並ぶ地だ。吉田松陰が黒船に密航を企てた際に寄寓した民家が残り、吉田松陰寓寄処として公開されている。医師村山行馬郎[ぎょうまろう]家の母屋だった建物で、松陰が潜んだ2階の隠れの間などが、当時の状況のまま保存されている。
- 「蓮台寺駅」から徒歩16分
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下田の賑わいから離れた、静かな山間にある蓮台寺温泉に、幕末の偉人・吉田松陰ゆかりの建物が残っている。下田の奥座敷ともいわれ、稲生沢川や蓮台寺川に沿って高級旅館が立ち並ぶ地だ。吉田松陰が黒船に密航を企てた際に寄寓した民家が残り、吉田松陰寓寄処として公開されている。医師村山行馬郎[ぎょうまろう]家の母屋だった建物で、松陰が潜んだ2階の隠れの間などが、当時の状況のまま保存されている。
築250年、今やほぼ現存していない飛騨白川郷の5層の合掌造りを民芸館として公開。囲炉裏で館主から建築工法や先人たちの知恵を聞き、日本の文化の素晴らしさを実感しよう。
ペリー艦隊の上陸記念の地として、故村田徳次郎氏によって建てられた碑。嘉永7年(1854)再来したペリーと幕府の間でもたれた日米和親条約の交渉過程で、開港地としてのいくつかの条件を満たす下田にペリーは満足し、調査船の艦隊が次々と入港した。記念碑の前の錨は、アメリカ海軍から寄贈されたもの。
下田市内に点在して残る往時の姿をとどめる建物。土壁に平瓦をはめ、継ぎ目を漆喰で固めた防火・防湿のための壁は、黒地に白い格子模様で今でもモダンといえるハイデザイン。なまこ壁と写真撮影を。
勝海舟が宿泊した船宿。現在は看板が立っているのみ。
温泉街の中央にあるパワースポット。熱泉が噴出す源泉やぐらの隣にあり、琵琶を手にした弁財天の像が立っている。この弁財天に湯をかけて願い事をすると叶うといわれている。縁結びの木「梛の木」もある。源泉ゆで玉子作り体験もでき、生玉子は熱川温泉観光協会にて購入できる。
松川の河口、伊東港に面した小公園。伊東の市政30周年を記念し、昭和52年(1977)に造られた。芝生園地が整備され、「家族」など、伊東在住の彫刻家・重岡建治[しげおかけんじ]氏のブロンズ彫刻が置かれている。港に出入りする船が見られ、海上には初島、真鶴半島をはじめ、遠く房総半島なども望める。
弘長元年(1261)、鎌倉幕府の命により伊豆に流された日蓮上人は、川奈の漁師・船守弥三郎[ふなもりやさぶろう]によって、この岩屋にかくまわれたと伝わっている。日蓮は岩屋で約30日間を過ごし、その後伊東へ移ったという。岩屋の前に祖師堂が立ち、岩屋内にも祠[ほこら]がある。
静岡県内最古といわれる旧松原交番の建物をそのまま利用した観光案内所。館内には案内人が常駐し、湯の町散策についてのアドバイスもしてくれる。イベント情報や観光に役立つ各種パンフレットも揃えている。
ウィリアム・アダムスの功績をたたえたもので、松川河口に架かるなぎさ橋のたもとに立つ。イギリス生まれのアダムスはオランダ商船隊の水先案内人を勤めていたが、慶長5年(1600)に船が難破して九州に漂着。その後、徳川家康の信任を得て日本に帰化。三浦按針と名乗り、伊東で日本最初の西洋式帆船を建造した。按針記念碑やイギリス詩人エドマンド・ブランデンによる詩碑が建っている。
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